応天門の変 - Wikipedia: "9月22日、朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に、またこれに連座した紀夏井は土佐国、伴河男は能登国、伴夏影は越後国、伴冬満は常陸国、紀春道は上総国、伴高吉は下総国、紀武城は日向国、伴春範は薩摩国に流された。また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。"この大事件の発端から結末まで、伴大納言絵詞に手に取るように描かれている。すごく面白くできた「マンガ」。
でも、伴大納言ほかの関係者全員は、検非違使による過酷な拷問にも拘わらず、最後まで自白をしなかった。だいたい自分で作った応天門に火をつけるわけがない。どうみても藤原一家による陰謀。大伴一族は被害者なのである。でもこのマンガ(伴大納言絵詞)による宣伝のおかげで国民はいまでも伴大納言が犯人であると信じている。マンガの読み過ぎはこわいな。
西行はこういった国家権力のイヌそのものの検非違使で働くことに嫌気がさして出家をしたのではないかと思う(新説)。
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